
この祝詞は日本人であれば一度は耳にしたことがお有りかと思います。
私がこの祝詞を初めて聞いたのは20歳くらいでしょうか。
「意味のわからない言葉を何度唱えても意味がない。」
「答えを外に求めてはならない、内より導き出すように。」
とよく霊師より言われましたが、不思議な響きを持つこの祝詞の意味を、長い間考えてきました。
古神道研究家、相曽誠治氏の
岩戸にこもられた天照大御神への呼びかけ(トホカミ)により、
お出ましになった天照大御神のお姿(エミタメ)を拝する。
との高説を元に、真理を交えながら解釈してみたいと思います。
前段の[岩戸にこもられた天照大御神]とは、
個我(岩戸=闇)の中に埋もれてしまった真我(神我)
後段の[岩戸からお出ましになった天照大御神]とは、
闇(個我)が光によって克服され神として輝いた姿
つまり、真我顕現です。
一人一人の分霊が真我に目覚め、神と一体になって光り輝く事実を認めながらこの祝詞を唱えれば、この言霊の力が非常に強力であることが想像できるかと思います。
祝詞の意味だけでなく、唱える時の意識状態が重要であるということです。
わたしはよみがえりであり、生命である。
イエスの御言葉も真我に目覚めた言葉であり、この祝詞と同じ力が宿っていると考えますが、いかがでしょうか。